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3日目【忠類→直別  70キロ】



えらく疲れたので距離は短めで。






本日のルート (powered by ルートラボ)

忠類→生花→昆布刈石→直別(実測68.2km)




荒涼


気怠い朝だった。ビビーサックの布越しに、外が明るくなっているのが分かる。不意に、額に水滴が垂れた。



「だーっ!?  結露がパネェ!」
「ビビーサックというのは、そういうものらしいですよ」


超軽量のビビーサックが抱える唯一にして最大の欠点、それが、結露の豪快さである。基本的に、テントは多かれ少なかれ結露をするものだが、ワタクシめが所有するビビーサックの場合、開口部が1か所しかないため、袋小路に追いやられた湿気は逃げ場を失い、結露する。それがビビーサック全体に広がり、朝になるとしっとり、というか







ぐっちょり。






になる。実戦投入は今回初めてのことだが、下馬評通り、というかそれ以上に結露がパネェ。シュラフカバーが必須、とあったが、その理由がよく分かった。

さて、今日はナウマン国道を海岸線沿いに北上し、釧路まで。釧路からは道東を横断して、別海かそこらまで進軍したいと思う。キャンプ地近くにセイコマがあるのは有難く、朝食と補給を済ませてから、いざ道道319へ。



「……と、その前に忠類駅跡を」
「旧駅跡、好きですよねぇ」







旧広尾線忠類駅。



北海道には、昭和末期から平成初期にかけて、廃止となった路線がそこかしこに存在する。特定地方交通線というやつだ。その跡地というのが、現在鉄道が通らなくなった街に残されていて、モニュメントになってたりバスターミナルになってたりしている。

忠類駅も例外ではなく、それは街の中心にあった。






それでは、晩成方面へ行くとしますか。



では、改めて道道319へ。街を外れてからいきなりの荒涼感。時々、点在する農場を通り過ぎるものの、全体的に人の気配はない。

峠道ではないものの、丘陵地帯を突き抜けるような道なので、あちこちでアップダウンがある。おまけに、朝から向かい風気味で、結果的に速度が出ない。

まあ、今日は厚内まで出られれば、最悪輪行に切り替えても良い、くらいのつもりでいるので、焦らずに歩を進めていけばよいか。






ずっとこんな感じの風景。十勝が農業の国だとよく判る。





「珍しくスローペースですね」
「正直、結構しんどいのよ」


旅はまだ3日目。しかし、STBと野宿で完全に回復したわけでなく、そのうえ向かい風で、おまけにポジションを出し切れていない借り物フォークのせいで、腰は痛いわ肩は痛いわケツは痛いわで。



「やっぱりメンソレータム忘れたのは大きかったか」
「買えばいいじゃないですか」


ただ、旅は3日目だが、旅全体もあと3日しかない訳で。そのためだけに買うのも何だかアレな気がする。

そんな世間話をしているうちに、遠く向こうに信号機が見えた。生花の集落だ。






ここを左折。このあたりも荒野の中のいち集落という感じだ。



交差点の角には郵便局、小さな商店、そして公衆トイレ。交差点から離れると何もない荒涼地帯。言わば、交差点が街の中心だ。



「まるでド●クエみたい」
「北海道あるあるだな」


生花を左折。釧路まであと100キロほどであるが、これがこの日、重くのしかかることになろうとは。






都市相互の距離がパネェのも北海道あるあるだな。






忍耐


アップダウンが続くR336を、ひたすら北上する。鬱蒼とした原野は、景色の変化に乏しく、言っちゃあなんだが退屈だった。時折現れる建物や、時折現れる交差点、時折現れるガツンとした登りくらいしか楽しみがなく、仕方ないのでミクさんに頼るかと思ったら、肝心のスマホが電池切れ寸前。



「八方塞がりじゃないですか」
「こうなると、もう淡々と走るくらいしかできない訳よ」







距離の数値的には大したことはないのだが、進んでる感じがない。



時々、地図を確認しながら進む。この場合、道に迷わないように、というよりかは、いまどの辺にいるかを確認するために。そして、案外進んでないことに落胆したり。



「大先生、珍しく疲れてますよ」
「もうお手上げよ」







久しぶりに信号のある交差点に差し掛かった。



長節を通り過ぎ、ちょっとした丘越えをした先に、久しぶりに見る信号機。道道911に曲がれば大津漁港、直進すれば十勝川を渡る。ふと思い立って、大津漁港方面へ。



「そっちに行っても、どん詰まりですが」
「うん、ただ、なんとなく」







ここが大津の街の玄関口。



交点から漁港までは3キロあるかないか。寄り道した理由は、本当に「なんとなく」。ただ、観光地化されていない小さな漁港の姿を見てみたいと思っただけ。

そうしたら、なかなか面白いものが見れた。






何かの碑だ。





「何か建ってるな」
「……えーっと、『十勝発祥の地』って書いてあります」


かつて、水運で栄えた豊頃の地で、ここが十勝開拓の祖となったのだという。内地からの船がここ大津に着き、十勝のあちこちに入植、現在の姿があるのだという。

現在の姿からは考えられないことだが、この小さな港町には、そんな歴史があるのだという。



「偶然とはいえ、すごい発見ですね」
「まさに、実踏だな」







その発祥の地に立つエルコスさん。



そんな漁港だが、ではこの他に何か見どころがあるのかというとそんなことはなく、ぶらぶらと時間を潰してから、もとのR336へ復帰。すぐに、十勝川を渡る十勝川大橋に差し掛かる。かつて、まだ橋が架かる前は、ここを渡船で連絡していたのだという。



「ただし、人力の船で、一日5往復の運航だったそうですよ」
「ほとんど利用客なんていなかったんじゃないかそれ?」


今でこそ橋が架けられて、車両の往来が可能になったが、その当時、原付以上の車両はR38に迂回させられていたそうだ。






雄大。



さて、橋を渡ると豊頃町。昆布刈石方面へさらに直進すると、目の前にすごい壁が現れる。確か、昆布刈石の展望台付近は、小高い丘になっていると聞いていたのだが……






まっすぐ登ってる。遠くから見ると、まるで壁のように。





「小高い、丘?」
「ほぼ直登じゃないですか」


とはいえ、登ってもたかだか100アップくらいだろう。手前の売店で赤缶チャージをしてから、じっくり登り始めることに。






直登の手前にある、出口商店で。



幸い、登りはすぐに攻略し、しばらくは高台の牧草地を走る感じになった。途中、昆布刈石の展望台へ至るダート道の分岐があったが、恐らくそっちがかつての本線だったのだろう。今では、トラックだって楽々通れる綺麗な道が並行して伸びている。






これによって、R38のバイパスとしての機能も期待できるのだとか。



下り勾配に転じ、その先に道道1038交点がある。ここを右折し、海岸線沿いを10キロも走れば、ようやく厚内の駅に着く。実はこの時点で、身体はボロボロな状態になっていた。なので、もう厚内で輪行しちゃおうか、とか(割とマジで)思っていた。






しばらくは勾配変化の少ない海岸線を往く。



11:05、厚内駅着。時刻表を見ると、およそ一時間後に釧路行が1本あった。






厚内駅。このあとフードインやまもとさんで補給。品ぞろえの良いスーパーマーケットだ。





「60分……  微妙ですね、どうしますか?」
「うーん……  ちょっと考えるか」


駅前の商店(件のやまもとさん)で赤缶と菓子パンを買う。パクつきながら算段を立てるのだが、どう考えても60分の待ち時間は長すぎる、という結論に達した。幸い、隣の直別駅までは10キロないくらいの距離で、アベレージ20キロを維持できれば30分で到着できる。補給して時間を消費したってまだ余る。それなら、厚内ではなく、直別で輪行すればいいのではないか。

という訳で、もう少し頑張ってみることにした。とはいえ、風は無風に近いところまで落ち着いてきたし、この先目につくような登り区間は皆無だ。実際、走ってみたら、12:00には直別駅に到着した。






途中で根室本線の線路を跨ぐが、この雰囲気は道東特有のものだろう。





「あと15分で列車が来ますよ」
「ま、そんだけあれば余裕さ」


実際のところ、手抜きで良ければ4〜5分で袋詰めは完了する。悠々と輪行を終わらせて、12:15発2525Dの乗客となった。






2両編成のキハ40に乗って。






決断


13:16、釧路着。ここまで来たら、やることはたった一つである。



「勝手丼、勝手丼、勝手丼……」
「目をギラギラさせないでくださいよぉ」







釧路駅前はホテルだらけ。また増えたのではないか?



ただ、その前にひとつ、やらなければならないことがある。

今日の走行は70キロに満たないくらいなのだが、正直なところ疲労困憊で、これ以上の進軍はスタミナ的にもメンタル的にもしんどいところがある。しかし、明日には羅臼、明後日には中標津にいなければならないとなると、この先のルートを本格的に考えなければならない。

仮に今日、残りの行程をすべて輪行でこなしたとして、羅臼への最寄は厚床駅か、もしくは弟子屈駅か、そのあたりになる。体力を回復させるためにも、できれば今日はちゃんとした宿に泊まりたいのだが……



「どうしますか?  どちらにせよ、宿の手配をしなければいけませんし」
「うーん……  ん?」


それは、一番初めに候補から除外した場所だった。

確かにここからなら、羅臼まで最短距離で到達できる。しかし、ここはとある理由で候補から除外した。つまり、クマが出るから、と。






今回、ここには行かないはずだったのに。





「斜里、ですか……」
「この際、出たとこ勝負で行ってみるか」


運が良ければ、昼くらいには羅臼に到達できる。そこから南下して中標津着が夕方。ルートとしては申し分ない完璧なコースだ。

果たして、宿探しをしてみたら、駅前のビジネスホテルが、一泊素泊まり3780円で押さえられそう。となれば、もう決断するしかない。



「いいね。明日、地の果てを獲りに行くよ」
「ご随意に。フォローします」


これで今日のゴールが決まった。宿の手配などすべて終わらせて、心置きなく和商市場へ。その手に握るは、千円札が2枚。






通常、だいたい1500円くらいで済むらしい。2000円てのは結構なもん。





「勝手丼、勝手丼、俺の勝手丼……」
「わーっ!?  大先生が壊れたーっ!?」







旅人を誘惑する場所なのだ。ここは。



ちなみに、7月初頭の釧路の旬は、やはり時鮭なのだそう。そして、旬ではないがソイ。とにかく色々乗っけてみたが、結局二千円は使い切れなかった。しかし、こんな感じに仕上がったマイ勝手丼。さあどうだ。






ヤヴァイのよ。以上。



今回の旅で、初めて高級なものを食べた(次に高級なのは丸亀製麺)。満足満足、ついでだから酒でも飲みたいなぁ。






セイコーマートで販売中。





「信じられるか?  このハイボールが100円で供されるんだ」
「大先生にとっては、パラダイスですね」


これに氷下魚の乾きものがあれば、もはや何も言うことはない。たっぷり堪能したところで16:05網走行に乗り込み、今日の宿を目指す。






なんとオホーツク側は晴れていた。これも北海道あるある(というか道東あるある)。



トコトコ単行の列車に揺られること2時間半。オホーツク側は晴れ間が出ていて、日中の薄暗い曇り空とは対照的だった。18:29、知床斜里着。

同じ列車に、コクーンで輪行していたご同業がいて、同じく知床斜里で下車していた。ここで負けん気が出て、素早く復元してコクーンより早く出発



「どうじゃいっ!」
「お、大人気な……」







知床斜里駅。輪行中の御仁がコクーンの人。



今宵の宿は、斜里第一ホテル。文字通り駅の目の前にあり、しかも隣がセイコマ。ハイボール祭になったのは言うまでもなく。




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TITLE:金曜:3日目
UPDATE:2016/07/24
URL:http://y-maru.sakura.ne.jp/228_yama7/day03.html