幕間〜無人駅にて〜外が賑やかしくなりました。 暗闇がぼんやりと光だし、重々しい音がゆっくりとこちらに近づいてきます。 その雰囲気を感じて、大先生が目を覚ましました。大先生はベンチに腰掛けながら、居眠りをしていたようです。 時刻は22:45。富良野行の最終列車が、人気のないホームに滑り込みました。 がらがらがらがら…… 力強そうなエンジン音がちょっとだけ静かになり、ホームに停まった列車は、ドアを開け…… ることなく、少し経ってからゆっくり動き出しました。先ほどとは比べ物にならないほど豪快なエンジン音を立てて、ゆっくりと。 列車が去ると、ふたたび静寂が…… 訪れませんでした。駅の近くにある工場が、昼夜問わずに機械を動かし、その音が耳に入ってきます。 終列車からの駅利用客はゼロ。そうでなくとも、この駅の周囲には人家がなく、そもそも人の気配が皆無なのです。そんな駅を利用する人なんて、わたしの足下でシュラフカバーに包まろうとしている大先生くらいのものでしょう。 「あの、大先生?」 わたしはちょっと、訊いてみることにしました。 「幾寅まで行けば、宿とごはんにありつくことができたはずです。なぜ、STBを選んだのですか?」 大先生は、飲みかけのシードルを煽ってから、虚空に視線を写し、言いました。 「……好きだから」 なるほど。わたしは納得しました。 いえ、質問しておいて何ですが、大先生がSTBを選んだ理由は、薄々気が付いているのです。 大先生のお父様が今年の夏三回忌を迎えるそうで、出発前から「まとまった金が要る」と言っていたのです。それに、甥っ子が来年の春から小学生に上がるそうで、ランドセルを新調してあげたい、とも言っていました。 要するに、金欠だったのです。 ですが、大先生はわたしにこう言ったのです。「好きだから」と。 「好きなのはいいのですが、あまりご無理をされないでくださいね」 わたしは言いました。大先生の視線が、虚空からわたしのほうに向き、そして、少し間をおいてから、 「分かってる。ありがとう」 そう言い、残りのシードルを飲み干しました。 ![]() プリングルスをつまみにして。 STBの歴史そのものは古く、大先生が生まれた頃には文化として成立していたとか。 昔はまだ大らかで、大都市の待合室ですら終夜解放されていて、普通に旅人が寝泊まりしていたそうです。まあ、夜行列車も多かった時代ですから。 しかし現代においては、治安の問題やマナーの問題で、終夜解放する駅は少なくなってきました。大都市の駅ではほとんど不可能でしょう。かろうじて、人里離れた小駅の待合室を利用させていただくのが精いっぱい、といったところでしょうか。 やりにくくなりましたか? わたしはいつだったか、そう訊いたことがありました。大先生はこう答えてくれました。 「そういう時代なんだよ」 ……と。 その時、その時のスタイルに即した楽しみ方をすればよいのだ、という事でしょう。だからこそ、「いつでもできる」宿伯ではなく、「今後できなくなるかもしれない」駅寝を選び、それを「好きだから」と答えたのでしょう。 ![]() 終列車が去っていく。 程なくして、駅舎の照明がいきなり消えました。 「ひゃぃっ!?」 クスリと、大先生に笑われてしまいました。不意打ちなんて卑怯じゃないですか!? 「そういうもんさ」 大先生はそう言うと、静かになりました。どうやら、寝ちゃったようです。 自然の流れに任せて、ということでしょうか。暗くなったら寝る、ということは。それに、起きていたところで何もやれることはありません。 ふぅ…… わたしはため息を一つついてから、セルフチェックを始めました。 札幌で補充したタイヤの空気圧がちょっと怪しいですが、まあきっと大丈夫でしょう。 ![]() だいたいSTBはこういう具合になる。マットはあるとよい。 次の日へ。 |