幕間〜とある巨木〜トマムを過ぎてから顔を出した太陽が、西の空に沈もうとしている。そうでなくても地形の関係で、晴れ間が出たと思ったら山々に太陽が隠れ、気が付くと薄暗くなっていたりする。 道東自動車道の開通によって、心細くなるほどに交通量が減った道道136を、占冠のほうへ向けて走り続ける、私とエルコスさん。 ふと、巨木が目に入り、ブレーキをかけた。 「どうしました?」 エルコスさんが問う。私はUターンをしながら、 「何か面白いことが書いてあった」 と答えた。 ![]() 巨木。 そこには、巨大な樹が生えていた。 「ニレの樹ですね」 エルコスさんが言う。蒼々とした葉をつけたその巨木は、誰も通らなくなった道に立ち塞がるかのように、静かに生えていた。 「泣く木、って書いてあるな」 よく見ると、いくつかの供え物が置いてあり、その脇に説明書きが記された看板があった。 因ると、道路建設の際に、進路上にあって妨げになっていたこの樹を切ろうとしたところ…… 「呻くような泣き声が……」 「ななな何ですかその心霊話は!?」 しかし、本当にそう書いてあるのだ。じゃあ実際に木を切ってみようか、という感じにはならないが。 とはいえ、実際のところ、そういった伝記が残されていて、未だに樹が切られずに残っているのだから、きっと書かれているのは本当のことなのだろう。 「でも、本当に何か宿ってるんでしょうか?」 「さあね」 私は樹の周りをぐるりと回ってみた。しかし、どこにでもあるようなニレの巨木で、根元が痛んでいるくらいしか、気になるところはない。これが、鋸で切られた後なのか、それとも自然に朽ちたのか、それもわからない。 ちなみに、エルコスさんはというと、看板を読んでいた。看板には、さらに続きがあった。 猟場のことで争いを続けていた日高と十勝のアイヌ、 日高アイヌの若者と十勝アイヌの酋長の娘は、許されぬ愛に手をとり合い、 カムイの棲むトマムに安息を求めましたが、若者はとらわれの身となりました。 やがて隙をついて逃げ出した若者が待ち合わせの場所で見たものは、 この楡の木の傍で力尽きて、倒れている娘の姿でした。 今では、恋しい若者を慕う娘の魂が、この楡の木にやどっていると伝えられています。 ![]() その言い伝え。 「これは……」 私も見てみた。この書き出しに、「以来、次の物語が生まれました」と書いてあったので、これが創作されたものだ、ということはすぐに分かった。 「あり得ない話ではないな。確かに昔、アイヌ同士の猟場争いは激しかったらしいし」 「それに絡めた話、ということですね」 しかし、なぜだかリアリティがある。本当に、この樹に娘の御霊が、宿っているのではないか。 ふと、風が吹いて、木々が揺れた。陽が落ちた十勝の風は、やけに冷たい。ふたたび、かさかさ、と木々が揺れる音がした。 「……クマとか出てくるのでは?」 「この辺はよく出るらしいよ。何せ、線路を引くときにハンターが引率しt……」 「ちょ、ちょっと待ってください! 本当ですかそれ!?」 「清風山の信号場は、そうだったらしいよ」 ……って、ウィキペディアに書いてあった。一筋の風が抜けた。方角的には追い風のはずだが、どうにもこうにもありがたくない。恐怖が増幅される風だ。 しばらく、背中に感じる悪寒を抱いたまま、巨木を見つめていた我々だが、ともなくして、「行こうか」という流れになった。辺りはさらに薄暗くなり、吹く風はさらに冷たさを増していた。それに、ボヤボヤしていて本当にクマに襲われでもしたら目も当てられない。 娘の御霊が宿ってる、……かもしれないニレの巨木に一礼し、私はエルコスさんに跨る。 「行こう。占冠まで10キロちょいだ」 静かに走り出す我々を、巨木は静かに見送っていた。そして、再び巨木の周りは静かになった。 ![]() まあ、言ってみれば娘が二人(笑) 7日目へ。 |