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367:杉津ホリディ・北ロング



text&photo  by  ymr20xx@y-maru.com。


【クイックリンク】

イントロです
海を越えた鉄路
カニロード
自殺とハイダイビングの名所へ    

久々のやらかし
修行中
闇夜
……オシャレだと?





本日のルート (powered by Ride With GPS)






イントロです。


福井県に永平寺町という自治体がある。




「曹洞宗の大本山がある街ですね」
「ウチの宗派が曹洞宗なんよ」


寺社仏閣の名前がそのまま自治体名になるのって天理教くらいかと思っていたがここにガッツリしたのがあった。

で、先述の通り、ウチの菩提寺が曹洞宗ということで、この大本山には前々から巡礼をしなければ、と思っていた。





神奈川の總持寺と並ぶ、曹洞宗の大本山。






「久々の杉津回です」
「えー……」


エルコスさんのテンションが一気に下がった。暗所と極端な高所が大の苦手な彼女にとって、杉津という場所は鬼門中の鬼門なのだ。





鬼門である最大の理由。






「またあそこですかぁ……」
「大丈夫、あそこは序盤に抜けるし、あそこだけだから」


季節柄、紅葉が美しい時期でもあるし、どうやら出撃日は一日天気が良さそうだ。グズるエルコスさんを宥め賺し、いつもの南今庄を目指す。




「これで天気が悪かったら、わたしイヤですよ」
「俺だってヤだよ」


そんでもってエルコスさんにルート引いてもらったところ、2017年に訪れたときは梵の魅力にそそのかされて行かなかった、東尋坊経由のルートが出てきた。




「全行程で175キロほどになります」
「まじか……  日没確定じゃねえか」






結論から申し上げると、案の定日没になった。






海を越えた鉄路


7:02、南今庄駅を出発。





ハピラインふくいになっても、貨物輸送は変わりなく。



もうお馴染みではあるが、目の前を往く県道207は、かつての北陸本線旧線跡である。




「山中峠までは緩い登りですね」
「こんなもんだけど、当時は相当の難所だったようだ」


特に、鉄輪式という現代でも主流となっている鉄道方式の場合、レールも車輪も金属なので摩擦力が充分に生まれず、特に今日みたいな紅葉著しい秋口になると、落ち葉でよく空転を起こしていたようだ。





いい塩梅に色づき始めていた。






「結果的にそれが北陸トンネルができた理由になってる」
「むしろこの一本の線路だけでよく捌いていましたよね」


いや、当時でも捌き切れていなかったらしく、滞貨は頻繁に起きていたらしい。





当時はこんな感じだったらしい。






「あ、これですね」
「往時の山中峠ルートの写真だな」


昭和36年といえば、既に60年以上前の話である。写っているのは大阪と青森を結ぶ北陸の花形特急「白鳥」だが、その当時はこの隘路のみが嶺南と嶺北を結ぶ唯一の鉄路であり、貨物列車も優等列車も、すべてここを通っていた。




「確かにそう考えるとエグいな……」
「ものすごい輸送密度のはずです」


もっと昔の歴史に遡ると、かつて敦賀が大陸との連絡港だった時代には、様々な地域から敦賀行の汽車が運行されていた。日本海側から敦賀へは、例外なくこの難所を越えていたことになる。





大桐の集落を過ぎて、一気に秘境感が増す。



そんな隘路で、かつ主要幹線でもあるので、どうしても行き違いの設備は必要になってくる。この先にある山中信号場は、そういった経緯で生まれた。




「見えてきました」
「このシェッドには見覚えがある」






日本最古のロックシェッドらしい。



シェッドを越えたあたりで、右手から引込線跡が現れる。山中信号場はスイッチバック式の信号場で、現役時代は2本の引込線があった。





海を越えた鉄道、とある。



ここに通うようになって随分経つが、2016年に登録有形文化財に指定されてから、あちこちに案内看板が増えてきた。





扁額のレプリカも登場した。






「なんかまた増えてないか?」
「増えたというよりかは、整備が進んだように見えます」


なお、登り勾配はこの信号場付近までであり、ここから敦賀側、すなわちトンネル区間は一貫して下り勾配となる。




「じゃあ、この引込線って……」
「そちらのほうが平坦で、トンネル側の道が下り勾配です」






スイッチバックあるあるだが、左の引込線のほうが実は水平。



トンネル手前でいつも通り撮影タイムを挟んでから、山中トンネルに潜り込む。先述の通り一直線の下り勾配が1キロ強続く。これだけ長い単線トンネルならば、坑口両側で信号の規制があってもよいものなのだが、




「直線で先が見通せるので、信号はいらないと判断されたようです」
「だから伊良谷トンネルには信号があるのか」






この区間では葉原と伊良谷だけが信号の交互通行。



隣にある伊良谷トンネルは、山中トンネルよりも距離が短いものの、全体的に左へカーブしていて見通しが悪い。トンネル内で鉢合わせにならないように信号で規制をかけているのが分かる。





天皇も羨む絶景。



さて、このトンネル群であるが、歴史ある建造物ということもあってかなかなかに不気味である。しかも、どういう訳か曲谷トンネルだけ、照明が消えてるし。





腰を抜かしかける遷移金属。






ガッ!「……………………!?(プルプルプルプル)」
「落ち着け。まだ慌てるような時間じゃない」


一応、この道は文化遺産の登録を受けていて、周辺散策ができるように整備がされている。ただ、ライトは持参したほうがよさそうだ





当時は25‰の勾配が連続していた。



そして、下り勾配のトンネルをひとしきり降りていくと、左手に高速道路の高架が現れる。これが北陸自動車道の上り本線だ。




「正直、子供の頃に地図でここら辺見たときは、軽い衝撃だった」
「ここだけ右側通行になりますものね」


現在でこそ、中央環状線の山手トンネルだったり、東名高速の鮎沢周辺だったりと、左右反転している箇所はそこそこあるのだが、当初の設計段階で左右反転のプランを引いていたのは恐らくここだけだと思う。




「そういうの判りますよ。なぜかずっと引っかかっている記憶ですね!」
「ま、それが俺の場合はこれだった、ってことだが」






このあたりにもクマが出るらしい。



ちなみに、ここを通る企画名で杉津ホリディの名を付けた当初から、必ず実行していることがある。それは、





ソースカツ丼はまだやってなかった。









杉津で朝メシ。









「パーキングエリアは外から入れる」
「お約束ですね」






基本的に自転車で来るような場所ではない。



既出ではあるが、杉津パーキングエリアの上り線は、かつての北陸本線杉津駅の跡地を転用している。この土地利用を行う目的もあって、このあたりの北陸道のルートは、上下線で左右反転を行っていると記録されている。




「標高が高い下り線には、恋人の聖地にもなった展望台があるそうです」
「外から入れるのかそこは?」


一応、道としては繋がっているらしく、上り線同様、外からも入れるらしい。




「これは宿題の事案ですね!」
「宿題はいつも溜まっていく一方だ」






芭蕉の句碑があった。






カニロード


杉津PAのあたりで、県道207は二手に分かれる。正確には、葉原方面を経由しR476に至る市道と、このまま海沿いまで下りる県道207との交点がある。今回は県道207下って海岸線沿いを目指すのだが、





で、海沿いまでの道はちょっとワイルドな感じ。



敦賀方面に抜けるのであれば、葉原方面を経由する市道を往くのがオススメである。R8は交通量が多くて、とても自転車で走れたモンじゃない。




「ここを通るのは北ハーフのとき以来ですね」
「あのときはヒドいメにあった」


割ときつめな下り勾配を駆け抜けながら、昔のことを思い出す。北ハーフの時はトンネルの中で流木踏んで吹っ飛んだんだった。





よく骨折しなかったもんだと。






「ああいう吹っ飛び方したの、後にも先にもあの時だけだ」
「大先生は基本的に慎重派ですものね」


そりゃそうだ。こんな人気のない場所で吹っ飛んで身動き取れなくなったら目も当てられないし。





ここで下り区間が終わる。



さて、R8まで降りてくると、右手に東浦小学校、左前方には歩道橋が見えてくる。この歩道橋は杉津地区の小学生の通学用に使われているのだが、ないとないで危険が危ない




「前もそんな解説してませんでしたか?」
「同じ道走ってると解説の内容がカブりがちなんよ」


ただ、歩道橋を上がるのがメンドクサくてR8を横断しちゃう小学生とかいるんだろうなぁ、とか思ってしまう。正直やめといたほうがいい。大型車の往来が多くて一発の事故がエグいことになる。





杉津地区は小さな集落だが、実は北陸屈指の海水浴スポットとなっている。



で、ここからこのまま海沿いのR305を北上する。北ハーフの時は福井市に入ったあたりで内陸部に入り今庄へと戻ったのだが、今回はさらに北上して東尋坊を目指す。おおよそ70キロ強の距離らしい。




「確か景色は最強だったんだけど……」
「特にこれといった要素はなかったと思います」


左手に敦賀湾を望む絶景ポイントで、右手にはすっかり紅葉が色づいた山々が広がっているというロケーションが続く。そう、ロングライドするロケーションとしては最高レベルに良質な道なのだ。




「やっぱり一回くらいひっくり返ったほうがいいのか……?」
「ダメですって」






紅葉がイイ感じになっていたが、よく見ると8号防災区間が高い位置を通ってる。



そういえば、出撃の日の数日前まで、この道は通行止めになっていた。




「地形的にも崖崩れが起きやすいのですよ」
「理由も「工事のため」だったからな」


しおかぜラインが通れなかった場合、南今庄からR365を北上し、南条でR305に乗り換える代替ルートがある。その場合、杉津を通らなくなってしまうので、杉津で朝メシが成立しなくなる。出発前まで通れるかどうかが未定でやきもきしていたが、無事に通れてよかった。




「この区間を走りたかった、まである」
「ずっと福井の天気予報を見てましたものね」






所々で工事中だったりはしていた。



ただ、何か面白いことがあったかというとそんなことなく、ひたすら景色のよい道を快走するという接待ロングライドが続く。




「あ、北前船があります!」
「いやいや、この前もここで撮ったじゃないか」






何回でも撮りたいらしい。



越前海岸沿いを往くこのR305は、主要都市を結ぶような意味合いは持っておらず、海岸沿いの小さな漁村をひとつひとつ結んでいく役目を持っている。





ノスタルジックな建物を脇目に。



なので、基本的にはR8の雰囲気と異なり、交通量はさほど多くない。たまに通るのは地元のゲタ車か、もしくはツーリングのライダーくらいなのだが……





……おや?






「渋滞が始まりました」
「なんでだ?」


エルコスさんが調べてくれた。どうやらこの先、道の駅のあたりが渋滞の先頭らしい。





甲殻類のワルツ。









カニ・カーニバル









「カーニバルは謝肉祭とも呼ばれててですね……」
「なぜ韻を踏みに行ったwww」


どうやら、この連休中に祭事が催されていたようだ。そういえば越前海岸といえば越前ガニが有名で、この時期になるとあちこちの軒先で大釜から湯気が立ち上る光景を目にすることができる。





濃厚な香りとともに。






「ですが、大先生ってカニ食べましたっけ?」
「そんな好きじゃない」


ただ、折角なので寄ってみる。9:28、道の駅越前着。





500キロ。









見間違いか?









「えーっと、5かける10の……」
「50万円ですねwww」


多少は集客の意図もあるのだろうが、カーボンロードバイク1台分の値が付いたカニは、確かにヤヴァかった





御立派。



ただまあ、カニが好物というわけでもないし、手ごろなお値段のカニもあったけどそちらには食指が動かず。……と思ってたら、ふと甥と姪の顔が浮かぶ。たまには気前のいいおじさんでも演じてみるか、と。




「買われるのですか?」
「富豪の道楽に勤しむ」






50万とか見ちゃうと、これでも良心的に見えちゃう不思議。



今回の旅とは関係ない話だが、この甥っ子も来年の4月から高校生になる。その彼氏は、中学生最後の春休みに「自転車で旅がしたい」とか言い出している。




「カニでも食べて鋭気を養ってもらわないと」
「いいおじさんじゃないですか」






彼もこんなふうになるのだろうか?



余談だが、この沿線には結構な数の民宿や旅館がある。多くは釣り客をメインにしているのだろうが、こういった宿に投宿し、カニを愛でながら飲酒するという富豪の道楽をカマすのも悪くない。




「カニがお好きでないのに?」
「北陸はカニだけじゃないし、魚もめちゃくちゃウマいのよ」






なんの計画も立てずに旅して、こういった感じの宿に飛び込む旅も捨てがたい。






自殺とハイダイビングの名所へ


道の駅がある厨という地区を抜け、さらに北を目指す。





厨では旧道を往く。集落を突き抜けるので道はちょっと狭い。



ここから先に越前岬という、このあたりでは最も西に突き出た地点を通過する。先ほどまでの人の気配は姿を潜め、侘と寂が融合した、なんとも雰囲気ある小さな漁村を抜けていく。





海に近いところでは、打ち寄せる波で路面がちょっと濡れる。



打ち寄せる波によって陸地が浸食され、景色も実にワイルドである。




「調べてみましたが、やはりかつては交通の難所だったようです」
「まあそうだよなぁ」


そもそも、この越前海岸部分を通年で移動できる交通機関は皆無だし、それぞれの地区を結ぶバスですら、一日に数本通るというレベルである。今でこそ道の整備が成されているが、整備前のことを考えると、ここが如何に辺境だったかが想像できる。




「こういうのがいいんだよ」
「旅をしているという雰囲気がありますね」






荒涼。



ルートの紹介になるが、杉津から越前海岸沿いに東尋坊まで至るこの区間、実は思ったほど登り下りがなく、むしろ平坦に近い。区間距離は70キロ強なので、往復しても140キロほど。実は良質なロングライドルートなのである。




「景色もいいし、魚介も楽しめる、と」
「良いことだらけなのよ」






漁火街道というサブネームがついている。



唯一の難点は、アクセスの悪さである。南側起点の杉津には鉄路が通ってない




「つまり輪行でアクセスできないから、南今庄スタートになっちゃう」
「これ、杉津側フィニッシュだと地獄なのでは?」


エルコスさんの言う通り、海岸線から山中峠までゴリゴリの激坂を登るか、あるいは大型車両の往来にビビりながらR8を敦賀まで下るかの2択しかない。





どんな丼だ?(お店の名前が「まつ田」さん)



なお、東尋坊がある三国を起終点にするなら、えちぜん鉄道が通っているので輪行ができる。この場合、新幹線とかで福井まで来て、三国芦原線の三国港行に乗り換えればよい。




「あと、途中で離脱する際も、大抵山越えだからね」
「そうでした。このあたりは急峻な地形でしたね」






前回はここで右折。このあたりでは登り勾配が穏やかな道だ。



このあたりは、丹生山地と呼ばれる山岳部が海沿いまで迫っていて、R305はその切り立った崖下を通っている。海岸線から内陸部に潜り込もうとする場合、例外なくこの山地を越えなければならないのだ。




「ひとたび走り始めたら、逃げ場がなくなってしまう」
「……ここ、本当に良質ルートなのですか?」


まあ、景色と酒とメシが揃っていれば数え役満みたいなものだし。





ルート自体はホント最高なのよ。



そんな丹生山地も、九頭竜川の河口付近である三国の街まで来れば穏やかになる。このあたりは先ほどまでの荒涼とした景色は消え失せ、逆にインダストリアルな雰囲気になっている。





工業地帯とラッキョウ畑が同居してる。






「このあたりは工業団地になってます」
「気が付いたら雰囲気が変わってた」






三連休の中日だからなのか、交通量は皆無。



青看板に東尋坊の文字が登場しだす。どうやらその手前に道の駅があるらしい。




「寄られますか?」
「ちょっと休憩していきたい」


11:28、道の駅みくに到着。このあたりでは規模の大きい道の駅で、まだ午前中ではあるが大いに盛り上がっていた。





ライダー比率多め。






「ところで東尋坊はどっちだ?」
「地図がありますね。あれを見てみましょう」


どうやら、この先の新保橋を渡ってから、九頭竜川沿いに北上すれば着くらしい。





九頭竜川を渡る。



ただ、東尋坊は自殺の名所としても有名な景勝。当然のように標高の高いところにある訳で、




「ちょっと登りますよ」
「……ちょっと?」






ちょっとか?



で、11:58東尋坊着。





これ、あれだ、江の島だ。






「自殺の名所ってくらいだから、もっとおどろおどろしいかと……」
「普通に観光地ですね」


沿道には数々の土産物屋が軒を連ね、どこもかしこも観光地価格であった。





命のやりとりをするような雰囲気じゃない。






「おっかしぃなぁ……」
「これも実地踏査の成せる業ですよ」


観光客で溢れる東尋坊であるが、その由来は生々しく、かいつまんで説明すると、




「悪いことした人を泥酔させて、ここから突き落としt……」
「待て待て待て待てwww」


その突き落とされた人というのが、東尋坊という名前の僧侶であり、この岬の名はそこから付けられているという。




「大先生ぇぇぇ?」
「ごめんてwww」






こんなん突き落とされたらそりゃ逝くわ。



本気で突き落としてきそうな眼をしていたエルコスさんを拝み倒しつつ岬まで来てみたが、生と死の印象は殆どなく、むしろどこにでもある観光地然とした絶景が広がっていた。しかし、海面までの高さというのはそこそこあるようで、見下ろしてみるとその高さが分かる。




「まあ確かにこっから落ちたら……」
「ですねぇ」






ただ、それを感じさせないくらいに観光地。



その高低差は意外なところで活用されていて、日本人で唯一のハイダイビング選手である荒田恭平選手が練習場所として活用しているのだそう。




「27mくらいの高さが必要で、練習場所がどこにもなかったようです」
「そりゃそうだわな」






突き落とされずに済んだ。






久々のやらかし


東尋坊を出発する。次は、ウチの菩提寺の大本山である永平寺だ。




「県道20を使って、丸岡城まで行きましょう」
「東方向か。つまり……」


この日の風向きは、一日通して南東方向からだった。つまりここまでは追い風だったが、それがひっくり返る、ということで、




「加速感が鈍った」
「ちょっと重たい感じですね」






東尋坊の最寄り駅である三国港駅。古い駅舎が残されている。



特に九頭竜川沿いに往く区間なぞ、遮るものがほぼないので、向かい風の影響をモロに喰らう。





川沿いの道を進んでいくと……



やがて、大きな橋が見えてきた。県道20号の三国大橋だ。




「右に曲がってください」
「右だな」


九頭竜川は福井のアイデンティティでもある大河であり、嶺北を横断するように流れている。上流には九頭竜ダムが控えていて、水量豊富な川である。





その名から連想できる通り、九頭竜川は暴れ川でもある。






「この道をまっすぐ進んでください」
「心なしか、脚が軽くなった」


九頭竜川を渡り、風向きが変わって向かい風の抵抗を感じなくなり、さらに道なりに進んでいくと、左手に道の駅をみつけた。




「あ、ここにも道の駅がある」
「密集してますね、このあたり」






……アレ?









既視感。









「エルコスさぁぁぁん?」
「え、あ、え……  あぁぅ……  ぁあああぁぁぁああっ!?」


綺麗にやらかした。先ほどの三国大橋は渡ってはいけなくて、左折するのが正しかったのだ。




「何が好き〜ぃwww」
「……クッキー&クリーム」


四季ちゃんかよwww





まあせっかくだから。



さて、道の駅みくにに再び舞い戻ったわけだが、ボトルの中身も底をつきかけていたので、とりあえず薄エリアスにしておく。




「帰ったらお説教な」
「うぇぇ……  申し訳ありませぇぇん……」


ちなみに、リカバリーできるルートはないかエルコスさんと協議してみたが、やはりこのまま引き返した方が無難そう。ということで、嶺北最大の面積を誇る福井平野へと飛び込む。





稲穂の海。だけど向こうの山は雪景色。



このあたりは一大稲作地帯となっていて、たわわに実る稲穂の海がどこまでも広がっている。




「北陸のコメはうまい!」
「若狭路の時も申してましたね」


本当であれば今日は南今庄で一泊して、翌日に土産でも買いながら帰ればいいかなぁ、と思っていたが、三連休は休日割引しないというネクスコの塩対応のため、今回はきっと何も買わずに帰ることになるだろう。




「ホントだったら米とか野菜とか買って帰りたいんだけど」
「世知辛くなりましたねホントに」


さて、世間話をしながら進むこと暫し、ここらへんで100キロ走破。





今日はこんな感じのスコア。






「6時間台ですね。碧南のときより30分巻いてます」
「及第点だけど、これ頑張れば6時間切れたかなぁ」


カニ買って発送手続きしたり、東尋坊観光だってしてる訳で、それらを除けば6時間切りできたかもしれないが、それはそれで味気ない。まあこんなものだろう。



永平寺の文字が登場しだす。



そこからさらに進んで北陸新幹線の高架を潜り、R8交点までやってきた。




「この先の県道17号線を……  み、右?」
「取って食ったりしないからそんなビビるなって……」






R8まで戻ってこれた。



ところで、その県道17号線に出る手前、丸岡城という城があるらしい。




「それほど遠くない場所にあるようです」
「ちょっと寄り道してみよう」


その丸岡城だが、戦国武将の柴田勝豊が築いた城で、現代に12つある現存天守のうちのひとつである。現代では、城を中心とした街づくりが行われていて、城下は公園や観光施設などが整備されている。





霞ヶ城とも呼ばれている。合戦時に大蛇が霧を吐いて城を隠したという伝説がある。






「大先生、折角ですから!」
「折角ですから写真を撮るのかーwww」






折角だから俺はこの赤の扉を選ぶ写真を撮るぜ!



ちなみに、ここまでの走破距離は約111キロ。そろそろ疲れが脚に出てくる頃だ。




「ここから永平寺までは?」
「およそ17キロで、登り基調になります」


目指す永平寺は大弗寺山の麓にあり、標高はおよそ200強ある。つまりここから、ひいき目に見ても150アップの登りとなる。




「ゆっくり走れば大丈夫ですよ」
「まあ、過去には鉄路もあったくらいだしな」






永平寺に往こう。






修行中


永平寺町に入り、R364に合流した。





寺院の名前がそのまま自治体になってる数少ない街。



永平寺の案内看板も出てくる中、えちぜん鉄道の線路を跨ぐ。すぐ隣には永平寺口駅がある。




「今ではこの駅が最寄り駅ですが、2002年までは鉄路が通ってました」
「参詣やらなんやらで稼げそうなのに」


廃止理由としては利用客の減少が挙げられているが、2001年に発生した列車衝突事故も影響しているという。ただ、連休中のこの日に限って言うならば、まあまあ需要ありそうだぞ?





永平寺口駅脇の踏切。永平寺線はここから分岐していた。






「そういえば連絡バス乗り場も混雑してましたね」
「平日だと雰囲気が違うのかもしれない」


参道も兼ねているR364は、永平寺へ向かう往来がまあまあある。懸念していた登り勾配も、アウターで全然イケちゃう程度にユルめである。





ゆるやかに登っていく。






「そういや、道の右側に鉄道遺構っぽいのがあるな」
「今は遊歩道になっているようです」






サイクリングロードかな?  って感じの道が並走。



永平寺まで残り1キロとなったが、このあたりから駐車場が登場し、路肩を歩く人の数が増えだす。




「しかも駐車場、結構混んでるな」
「全部、参詣の方の車両ですね」






そのためか、時折道は渋滞する。



そして、バス停を過ぎた先で、丁字路に至る。ここからが永平寺の参道ということになる。





ここを直進すると永平寺。右折でR364越前高田方面へ。






「門前通りの先、正門のあたりに駐輪場があります」
「もうちょっと登りか」


門前通りは土産物屋が並び、名物の蕎麦や胡麻豆腐を戴ける食事処もあった。





門前通りと平行して参道があり、そちらを通る参詣客が多い。






「帰りに寄ってくか」
「陽が落ちると寒くなりますから、温かい蕎麦などがよろしいですね」





15:21、永平寺着。





こちらから詣でる。なお、最終入場は16:00で、割とギリだった。



ここがウチの大本山ということになる。oyaji殿はおよそ11年前から、母れいちゃんに至ってはつい半年ほど前から修行でお世話になっているので、ちょっくら様子を見に行ってみようと思う。




「ちょっと行ってくる」
「はい、行ってらっしゃいまし」


永平寺は1244年に開創し、その後1615年に曹洞宗の大本山となった。増改築が高頻度で行われており、2025年現在では70戸の建物があるといわれている。





最深部にある法堂。ここまでにいくつもの建物があり、廊下で繋がっている。



寺院の中は観光ができるようになっていて、順路が定められている。700円払って中に入ると、まず最初に通されたのが傘松閣という間。





230枚の花鳥彩色画で飾られた天井。






「すごいですねここ」
「参詣者へのもてなしの間として造られたらしい」


で、そこから最深部にある法堂までが、まるで迷路のよう





罰当たりな話だが、ここで鬼ごっこやったら楽しいかもしれない。






「かなり広いですね」
「今どこらへんにいるのかすら怪しい」


法堂で折り返して山門を経由して観光ルートは一通り終わるのだけれど、本尊や古来からの建築をじっくりと堪能すると、軽く1時間はかかる。




「参詣は16:30まででしたよね?」
「そうだね。それに、そこまで滞在してると本当に陽が暮れる」






法堂では若い僧侶さんが修行に励まれていた。



ひととおり見学を終え、いつもお世話になっているので瓦を志納して、正門まで戻ってきたのが16:05。




「如何でしたか?」
「元気に励んでたよ」


さて、これで今回の出撃で立ち寄るべきところは全て立ち寄った。ここからは時間との勝負になる。チンタラやってたら暗闇に包まれちまう




「大先生、蕎麦は……」
「食べる!」






16時近くなるとやってる店が少なくなるので注意したいところ。






闇夜


永平寺へは、北側からのルートのほかに、越前高田側からアクセスする南ルートがあるのだが、





絶望の斜度。






「さっきまでの緩い登りはどうしたー!?」
「アベレージ7強ありますねここ」


距離1.5キロでおよそ100アップするので、まあまあ急坂である。さすがにインナーに入れた。





軽く引く程度の高低差。






「あー……  確かに急だわこりゃ」
「その所為なのか、こちら側は閑散としてますね」


救いなのは、この急坂区間はそれほど長くないということ。2連のS字を越えてもうちょっと登れば、峠のトンネルに着く。





ここまで来れば登りはおしまい。



トンネルを抜ければ、R158交点のある越前高田までは下り勾配になる。




「だいぶ暗くなってきました」
「さすがにアイウェアは外すか」


で、ここからの行程だが、県道31、県道32、県道25、県道2と乗り継いで武生方面を目指す。





すっかり陽が落ちた。



R8に出てしまえば話は早いのだけれど、こちらのほうが交通量が少なくて自転車としては走りやすい。




「えーっと、どっちだっけ?」
「ここを右折して、暫くまっすぐですね」






地図を確認しながら進む。



ルートとしては、越前東郷のあたりが入り組んでいてわかりにくいのと、県道25の戸口トンネル前後にアップダウンがある感じ。そこを越えてしまえばあとは平坦で直線的な道になる。




「すっかり日没なんだが」
「ライトの電池は大丈夫でしたね?」


そこは抜かりないのだが、先ほどサイコンの画面にケイデンスセンサー電池低下みたいな文字が表示されていた。最後まで持ってくれるといいのだが。




「まあ、すぐにダメになるということは……」
「帰ったら交換だな」


今立のあたりまで来ると、もう完全に夜の闇の中。





途中、クランク状に曲がる個所があるので気が抜けない。






「さ む い w w w」
「色々パフォーマンスが低下してますがwww」


暦の上では既に冬。日没ともなると気温はヒトケタ台。今回は秋冬用のジャケットを持参しているが、それでも寒いものは寒いので、その都度コンビニがあれば暖を取りに立ち寄る。




「遅々として進まない」
「これだけ休憩を入れていれば、ですよ」






ふたたびR8へ。



鯖江でR8に出る。ここまで来れば残り20キロほどで、ざっと見積もっても1時間。寄り道をしまくっても2時間はかかるまい。




「では、あそこに寄ってみますか?」
「なんか光ってるな」






煌々と輝くデカい建物。



18:09、越前たけふ駅着。





この時間、まだギリ東京行きが1本あった。時代の変化よ。



北陸新幹線敦賀延伸時に開業した新しい駅で、開業と同時に道の駅も併設された。




「ちょっと休憩」
「駅改札のほうにコンビニがありますよ」






寒かったのでカップラーメンで何とかしてみる。



さて、ここからの道程だが、このままR8を南下して、行松の交点でR365に入り、15キロほど南下して今庄。なのだけれど……




「武生大橋、自転車で通れなさそうです」
「川を渡らずに手前で左折するか」


その場合、県道136を南下して、王子保でR365と合流するルートがある。




「今庄までは登り勾配になります。といってもほとんど平坦ですが」
「のんびり往くべ」






越前の新しいマスコット。こういうの見るとつい撮っちゃう。






……オシャレだと?


向新保の交点で左折。ここからR8は武生大橋区間になるが、先述の通り自転車と歩行者は通れない。





もう少しなんだけど、やはりダメっぽい。



なお、県道136を使うルートの他、一旦R8を右折して日野大橋を渡り、R365に出るルートもある。




「どちらでもさほど変わりはありませんね」
「まあね」


王子保でR365を左折。しばらくは真っ暗闇の田園地帯を、時折後ろからくる車列を躱しながら往く。……のだが、真っ暗闇の中、やたら左側の景色が赤い





南越前町に入った。かつての南条、今庄、そして河野が合併して誕生した自治体だ。






「なんか北陸道が渋滞してるんだが」
「集中工事ですね。車線が規制されているようです」


昔話だが、渋滞中のテールライト群を見て、王蟲が怒りに満ちているなんてことを言ってたのを思い出した。




「王蟲じゃなくても普通にキレるわwww」
「わかりますその気持ち」


さて、湯尾駅には19:35着。





南今庄から2つ隣の駅。






「……あ、そういえば」
「うぅ、イヤな予感が……」


エルコスさんの直感は正しい。実はこの近くにも、旧トンネル群の遺産があって、現役で通れる。ここを通ると、地図上ではR365をショートカットできる。




「まあ、あそこは照明が完備されていて、あまり怖さは感じませんでしたが」
「だろう?」


その湯尾トンネルは、湯尾の集落を抜けた先にある。一応、通学路ということで整備が成されているのだが、実はトンネルのお得意先であった今庄中学校は、令和4年に統廃合のため閉校している。




「つまり、単に整備されたトンネルが残っているわけだな」
「観光客向け、という感じですね」


で、トンネルに着いた。





湯尾トンネル。






「……あら、意外とオシャレ」
「オシャレとは?」


近くに集落があることもあって、ここだけは他のトンネルと比べると、マイルドな感じになっている。LED照明も近年取りつけられたもので、お陰で路面状況も確認しやすい。そしてこれくらいはエルコスさん許容範囲らしい




「トンネルの中って結構デコボコしてるからさぁ」
「何にしても良心的なトンネルですね」


で、トンネルを抜けたあたりが今庄宿の入口。今回はここを右折して、旧街道を通って県道207を目指す。





旅人はこの宿場を通って北陸路に入った。



その今庄宿は、北国街道の難所を目前とした位置にある宿場で、同時に北陸の玄関口でもあった。北陸トンネル開通前は、補機の増結開放をしていた関係で、優等列車が停車していたほどの主要駅だった。





話は変わるがインスタ360の夜間撮影は絶望的なレベルっぽい。GoProを夜用に使ってみようか。



今となっては第三セクターのいち小駅でしかないが、旧宿場の街並みと当時からの作り酒屋、そして今庄そばを楽しみに訪れる観光客は多いのだとか。




「そういえば、今庄にはサイクリングターミナルがありました」
「宿泊もできたんだっけ」


現在では今庄の宿かねおりと名を変えて営業している。南今庄の駐車場で車団地ばかりしてきたが、ここをベースにするという選択肢もあったな。




「次回はそれを試してみては如何ですか?」
「充分アリだな」


県道207を右折し、しばらく走ると駅が見えてくる。そこが南今庄駅で、1周およそ175キロのフィニッシュとなる。到着は20:25で、越前たけふ駅からおおよそ2時間かかったことになる。





ホームが見えてきた(実際には暗くてあんまり見えてない)。






「ゆっくりし過ぎましたね」
「もう身体が言うこときかんのよ」


なお、本日の走行距離だが、当初予定よりも6キロほど増えて181.6キロとなった。




「なぁぜなぁぜ?」
「わ……  わかんないwww」






永平寺の紅葉は見事だった。












TITLE:崖と城と寺とカニ。
UPDATE:2025/12/01
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