2012年版ガイドライン 実地踏査シリーズ スキー百本勝負 ほぼ月刊動画工房 ステキなダムn選 トップページ 用語辞典        リロード時刻:2025年04月05日(土)22時41分


424232:World 9~BRM1013志布志424~



text&photo by ymr20xx@y-maru.com。20230917改題  (注:もちろんそんなブルベはありません)







イントロです。







東京はとても良い天気でした(伏線)



某月某日、半休を取得したワタクシめは、職場から程近いワープゲートへ、エルコスさんを走らせる。取得しきれなかった夏休みを消化すべく、東京を後にするのだ。



「それにしても、勤務先が蒲田、というのはオイシイものですよね」
「これくらいのご褒美がないと、やってられんがな!」


この、空港から至近、という立地的アドバンテージを大いに活かし、15:45博多行きの乗客となる。






ちなみに、自走するのがシンドイので国際線Tから輪行。



3月のしまなみ以来、飛行機輪行にも慣れて行動範囲が広がった。だからこそ行くしかないだろう。九州へ!




真相~424チャレンジ~



「で、九州をお選びになった真の目的は?」
「うむ、それはだな……」


エルコスさんに問われて、ワタクシめは答える。正確には、九州の鹿児島。しかも、志布志という場所だ。

鹿児島県志布志市は、籍こそ鹿児島に属しているが、実際のところ、宮崎県との接点が大きい。事実、最寄りの交通要衝は宮崎県の都城市だし、鉄路に至っては鹿児島県内の他路線と全く接続していないのだ。そんな志布志市を目指す理由、それは……



「昔、あの町の支所の前で……」
「はあ……」
「ものすごい回数の腹筋をした男がいるらしい」
「……はぁ!?」










チャンネル424(youtube)より引用。その男こそ、ヒゲでデブの人である。



詳細はこちらに詳しいが、とにかく、志布志にちなんで、424の何かをする、というのが巷の流行なのだとか。

こりゃワタクシめもやらなきゃなるめぇ!  という訳で調べてみたら、博多からルート次第で、志布志まで424キロをカウントできるルートがあるではないか。

期は熟した。かくしてワタクシめとエルコスさんは、その日の夕刻に、福岡空港に降り立つこととなったのである。






福岡着。このとき首都圏では盛大にOFケーブルが火を噴いていた。



その福岡であるが、空港と博多駅はものすごい近所で、空港からエルコスさん復元して15分も走れば博多の駅前なのである。

オートバイ時代、博多泊といえば毎度利用しているホテルキャビナスに投宿、






屋台は中洲が有名だが、実は市街地のいたるところに屋台は出ている。



中洲の屋台を堪能し、






あと、屋台は単価が高いので、チビチビやれるツマミと瓶ビールが持ちが良い。



ついでに、飛行機輪行におけるネックである「タイヤの空気圧」を解決すべく、駅から1分のところにあるウエムラサイクルパーツさんでエア補充と補給食の買い足しを行う。



「すごい便利な立地ですねここ」
「おまけに品揃えも悪くない」


むしろ品揃えは良い方で、万が一飛行機輪行でダメージを負ったとしても、即座に復元ができるレベルだった。






博多駅より1分。呉服町交差点至近。



とにかく、準備は整った。明日、どこまで行けるか楽しみになった。




1日目


本日のルート (powered by ルートラボ)

博多→久留米→みやま→大牟田→長洲→宇土→八代→人吉(実測214.3km)




6:00、博多を出発。






カウンターを0にして……



博多と鹿児島の間は、距離にして300キロちょいくらいなので、その気になればキャノンボールをやらかすことも可能らしい。しかし、我々は今日の目的地を、その手前の人吉に定めた。



「よろしいのですか?」
「そんな辛い思いをして楽しいのか?」


別にイベントでもなければ、ブルベでもないのだ。マイペースにのんびり走ろうじゃないの。






早朝の博多を流していく。



なので、太宰府の看板が見えたところでちょっと寄り道。天満宮前でパチリ。






今回のオアソビ。





「あら、ミラーレスを持ってきたのですね?」
「まあ、今回のネタだし」


これについては後述。

さて、ようやく周囲が明るくなってきたので、ここでアイウェアにチェンジする。すると、突如として低下する視力。



「あれー、看板が見辛い……」
「メガネの度があってないのですよきっと」


そういえば、普段使いのレンズは、つい先日入れ換えたのだった。これでは、アイウェアのほうもいじくらなけらばなるまいか。

そんなことを感じつつ、道はR3へ。北九州と鹿児島を、西ルートで結ぶ大動脈だ。予想はしていたが、案の定トラックが多い。あと、舗装の状態がよくない。



「あぁぁぁぁぁぁぁぁしししししんんんんどどどどどぅぅぅぅぅがぁぁぁぁぁぁ」
「それよりも後方からのトレーラーのほうが怖いですよ!」







自転車で走るにはチトきついか。



このあたり、九州内でも北側より南側のほうが自転車に優しいと感じてしまう要因なのかもしれない。

いたたまれなくなって、久留米からR209にシフトし、大牟田方面へと舵を切る。



「いい判断です。R3よりかは勾配の変化は少なそうですよ」
「まあ、鉄路も通ってるし」


いつも通り、線路の通っているところは勾配が少ない的発想である。ところがこの発想によって、後々エライ目に遭う。

話を元に戻す。大牟田に向かう直前、ヤマトの営業所にて、リュックを博多に送り返す。






パージタイム。



これも長年の経験で培った技だが、お陰で荷が軽くなった。今回は博多に帰還することになるので、とりあえずはこれでよし。

さて、大牟田へと向かう道すがら、瀬高という場所を通りすぎようとした。



「大先生、ちょっと寄っていきましょう」
「ああ、瀬高といえば……」


ここにはかつて、佐賀線という路線が佐賀駅まで繋がっていた。平成に入る直前で廃止されたが、かつては急行の運行もあった路線だ。






瀬高駅。





「大先生の生まれた年の時刻表には、しっかり刻まれてましたね」
「よく調べたな(笑)」


現在では、なんとなく線路が延びていたなぁ、くらいの痕跡はありつつも、駅のほうには佐賀線の「さ」の字も残されていなかった。



「時代なのかねぇ」
「まあ、ノスタルジアでしかないですから」


我々はふたたび南を目指す。






こーんな感じの場所を走っていく。



しばらく田園地帯を走り抜けていくと、やがて大牟田の街に着く。今では新幹線も停まるほどの街になった。






大牟田の市街地。



ここからはR389に乗り換えて、さらに南へ。このあと、長洲らへんを経由し、海沿いの道を経て熊本に至るルートを往く。……はずだったのだが、



「あれ、ロストしたぞ?」
「あら、本当ですね」


道がいきなりなくなった。エルコスさんがルーティングしなおす。



「次の交差点を右折ですね」
「ここ?」


こうして曲がったのが、R208だった。そして、法定速度で走る原チャリに引っ張ってもらうこと暫し、再びエルコスさんが、



「え、え!? あれ!?」
「どうした?」
「またコースロストしました!」


どうやら、曲がる交差点を間違えたらしい。海沿いの道を目指すはずが、気がつけば山の方へ。






とりあえず何かランドマークを探してみる。



とりあえず軌道修正すべく、警察署脇から田園地帯方向に入り込む。ちなみに踏破時は平日ということもあって、あちこちでは農作業が活況であった。これで天気がよければ言うことなしなのだが、やや曇りぎみな空模様であった。






港によくあるクレーンっぽいのが見えてきた。





「あ、潮の匂いがしますね」
「もうすぐ長洲だな」







そういやここ、過去に一度だけ来たことがあるぞ。



11:10、長洲港着。

ここから島原半島に向けて、フェリーが運行されている。陸続きでの隣県が佐賀しかない長崎県へのルートとして、航路が発達している代表例であろう。



「大先生!  写真撮りましょう!」
「おー、撮るかー!」


ということで、ミラーレスで一枚パチリ。






ちょうどフェリーが来ていた。



しばし休憩をしてから、ふたたび熊本を目指す。玉名周辺はひたすらまっすぐで、R501を河内町方面に折れ曲がると、少々山岳路線気味となる。



「ん?  なんだあの看板」
「どうしました?」


ふと、面白い看板を見つけた。






ごうまるいち、と書いてある。





「郷○市、だとさ」
「これ、国道の番号と掛けているのでは?」


…………

ああ、そういうことか!?






確かに国道501号線だ。



真相がわかってスッキリした。それでは改めて行程を進めていこう。

ところが、道のほうはスッキリしなかった。登り勾配が始まったのだ。

それだけなら別に何も問題ないのだけど、この道、やたらと交通量がある。



「あ、大型トラック来ましたよ!」
「よけれねーよwww」


ついでに言うと、道幅がとても狭いので、すれ違いに四苦八苦するほど。タイミングが悪いと、後方がこちらに起因して、詰まる。






こんな感じの道に、4トン車とかが平気で突っ込んでくる。





「ああ、ふん詰まりましたね」
「ごめんねぇぇぇぇぇぇぇっ!?」


適度に後続者をパスしながら、この山岳地帯をクリアすると、ようやく熊本の市街地で、道は平坦になる。






地震と噴火でエライ状態にある。



熊本といえば、先に発生した熊本地震によって大打撃を受けたことは記憶に新しい。しかし、海沿いの辺りに限って言えば、壊滅的な様子は見受けられず、それほど震災の臭いを感じさせるようなことはなかった。



「早く元通りになるといいのですが……」
「時間はかかるけど、きっと大丈夫だろう」


根拠のない意見。だけど、その境遇に置かれた人間はそれほど愚かじゃない、むしろ逞しい。外野である我々が、余計な茶々を入れさえしなければ、きっと元通りになるだろう。それは歴史が証明している。

さて、時刻を見ると、13:35。三角線の分岐である宇土駅に着いた。ここで一枚、パチリとやってから、地図とにらめっこする。






宇土駅。A列車は全部停まる。



県道14号線を直進するか、左折して松橋バイパスを往くか。ただ、線形を考えるに、この県道14号は、たぶんR3の旧道だろう。それならば、直進した方が走りやすいに決まっている。






ただし、一部区間でこんな感じの道。





「あとは、八代にいつ着くかだけど……」
「目標は15時ですね」


と、エルコスさん。彼女の見立てによると、



「八代から人吉まで、だいたい50キロほどあります。ここを3時間かけるとするなら、16時八代通過だと、確実にナイトランになりますよ」
「15時かぁ。まあ、行けるだろう」


そんな感じで軽く返してみた。……まさか、あんなことが起ころうとは。












パナレーサーは死んだ。









なんだと!?( Д)゚゚








「あー、やっちゃいましたねー」
「天は我を見捨てた(泣)」


ちょっとした段差を越えた瞬間、リヤをスネーク気味に打ったので、とてもイヤな予感はしたのだが。

しかし、落胆ムードでチューブを外し、定石通りにタイヤの異物チェックをしたら、






なんか生えてる。





「お前の仕業か!?」
「よかったじゃないですか、パナレーサーは裏切ってなかったじゃないですか」


そういうことではないのだが。

ちなみに、この異物チェックは意外と重要なわりに、意外と忘れやすい項目である。これを怠って新品チューブ突っ込んで、速攻で新品チューブをダメにしたことなど、片手で数える以上やらかした訳で。

そんな訳で、タイヤに刺さったワイヤー片を引っこ抜き、チューブを入れ換えてエアを7キロにセット。






ちなみに今回はちゃんとツールカンを持ってきた。





「大先生」
「どうした?」
「……15時になりました」
「( Д)゚゚」


あっさり時間切れに。

こうなるともう開き直りで、途中ダイソーに寄ったりして買い出しを敢行。八代のに到着したのは15:30のことだった。






左折して、ちょっとだけ戻る。



ここから、肥薩線と球磨川に沿うように、R219を北上する。地図上では、あるいは鉄道マニアの方なら、肥薩線といえばどんな路線かくらいすぐに分かってしまうだろうが、



「実は、人吉までは意外と登るような感じじゃないんです」
「まあ、鉄道が通っているくらいだしね」


エルコスさんの指摘通り、実は人吉まではそれほど登り勾配がきつくない。ある程度走れる人からすれば、ほぼ平坦だといっても過言でないレベルで。



「大先生も、それを見越してこちらを選ばれたんでしょう?」
「それもあるけど、たぶんR3は交通量が多そうだし」







球磨川を渡ると、雰囲気は一変する。



んで、この道である。人吉街道と名付いたこの道は、読み通り走りやすい道であった。交通量は少ないし、球磨川の景観は変化に富んで見ごたえあるし。

ただ、ちょっとだけ気になるのが、肥薩線に寄り添うような形で続く、交通量の少な目な細道。それぞれ、県道番号は158、272、304と振られているようだが。



「なんか、あっちのほうが勾配変化少なくない?  交通量も少なさそうだし」
「ただ、行こうにも橋がないですよ」







川の対岸にあるのが、件の県道である。



そうなのだ。国道と線路(と細道)はそれぞれ川を挟んで左岸と右岸の関係にあり、川を渡る橋が極端に少ないのだ。そうこうしているうちに交通量が増え始め、ついでにアップダウンが多くなってきた。



「ちょっと補給しとくか」
「少し遅いくらいですよ」


道の駅に不時着して、赤缶と味付ザーメンで補給。どこまで持つかはわからないが、人吉までいけばコンビニくらいあったはず。






困ったらこれに限る。



そのままさらに北上を続け、球磨村の役場まで来たところで、アイウェアがしんどくなった。そろそろ、今宵の宿も算段を立てておきたいのだが。






予想以上に走りやすいのだが、人吉まではまだ30キロ近くある。





「大畑まで登ってSTBを考えているのだが……」
「人吉に一泊3.7kの宿がありますよ?」


暗に、「ちゃんとした所で休みなさい」と言っているようなものだ。おとなしく従うことにして、せっかくだから人吉温泉でも堪能してやろう。






一勝地からは対岸の県道に移った。こっちのほうが走りやすかった。



さて、件の宿であるビジネスホテル・チヨヅルだが、ビジネスホテルは満室なのだという。ただし、平行して営業しているウィークリーマンションなら空きがあり、一泊利用しても構わないという。しかも、3.3kだった。



「ほらね、STBじゃなくてよかったでしょう?」
「参りました」


件のマンションの一室、キッチンに陣取ったエルコスさんが、ドヤ顔でそう言った。






人吉に着いた頃には、完全に日が暮れていた。



実際問題、この判断は正しかったと思う。何せ、満足な食事と休養、それに温泉を堪能することができたのだが、実は久しぶりにロングライドをしたダメージが、左踵のほうに出始めていたのだ。

とりあえず、ストレッチをしてダメージを最小限に食い止めておこうと思う。






人吉は温泉の街。新温泉は昭和の雰囲気ムンムンの銭湯で、300円。






二日目


本日のルート (powered by ルートラボ)

人吉→伊佐→宮之城→溝部→嘉例川→隼人→鹿児島(実測127.6km)




朝起きて、窓の外から見えた光景に、一瞬どころかハッキリ目を疑った。






おもいっくそ濡れてるじゃねーかwww





「雨ですね」
「マジかい」


なんと、雨が降っていたのだ。

天気予報では日曜から雨、みたいに書いてあったのに、そりゃないよ。

とはいえ、まだ輪行には早すぎる。424チャレンジを達成するためには、あと200キロは自走をしなければならないのだ。



「ですが、藤村ディレクターは頻繁に妥協と割切をしていますが」
「こうなりゃ己との戦いよ」







どうも降ったり止んだりみたいだ。



という訳で、人吉から伊佐市を目指す。このルートにした理由は、行程の途中に鶴田ダムがあるからという一点。ちなみに、某ポニー大好き成年漫画家のダムマンガ(ホントにこのまんまの名前)にも出てきたし、ダムカードの発行もしている。



「行くっきゃないだろ」
「まあ、距離的にも問題ないですしね」


8:00、登坂を開始。

R267は、駅前通りの道が そのまま国道に直結する。そして、徐々に標高を上げていく途中で、大畑、矢岳方面の分岐に差し掛かる。



「左の道も面白いんだが」
「宿題ってヤツですね!」







左折して肥薩線めぐりというのもオツである(難易度も跳ね上がるが)。



さて、標高を上げていけばいくほど雨脚が強まっていく。今回のお召しは、ここ一番で勝負に出れるあんちくしょう。だけど雨と泥跳ねで黒く汚したくはない。断腸の思いで、アレを出すことにした。



「シモ・ヘイヘになるのですね(笑)」
「見くびらないでもらいたい!」







なんだこのポンチョ?





「……大先生、その「スタッフ」って何ですか?」
「昔、東京マラソンのボランティアやってた人からもらった」


ちなみに、このポンチョはかなり高性能で、前はボタン留め、袖は独立していて、一言で言うなら、着やすくて扱いやすい、というシロモノだ。アシックスさんには、是非とも一般に向けて販売していただきたい。






それじゃ、さらに登っていくよ。



さて、道のほうはというと、緩めの勾配が延々と続いていくような感じで、行けども行けども峠のトンネルは出てこない。

この道は、かつては大型車通行困難なレベルの隘路だったものが、バイパスとして機能する長大トンネルが開通してからは、伊佐市との往来が容易になったという。その長大トンネルが通行止めになるとかで、そこかしこに迂回路を案内する看板が立っていた。






もう少しか……





「これを見ると、もうそろそろなのだが……」
「そのようですね」


そこからだいぶ登り、ふたたび同じ看板が現れて、






我が目を疑う。





「さっきと同じ位置ぢゃねーか!?」
「これは詐欺ですね」


二人して大爆笑である。






ここを境に、トンネルまで勾配が跳ね上がる。



大塚の集落を越えた辺りから、勾配がいきなり急になる。この旅を通して初めて、インナーに落とした。

左踵がズキズキ痛むが、まあこれはいつものことだ。昨晩のストレッチだけでは改善しきれなかった。



「アンクリングを起こしているのだと思います。できるだけ踵を下げないように乗ってみてください」
「やってはいるんだけどねぇ」







ようやくトンネルが見えた。左折すると旧道の久七峠へ。



できるだけ足首をグリグリ動かさないようにして、大きくクランクを回すことを考えつつ、2キロほど登る。久七トンネルはその急勾配の終了地点から掘られていた。トンネルは伊佐市へ向けて下りの片勾配だった。九州の一般道でもっとも長いこのトンネルの中腹に、煌々と光る「鹿児島県」の文字。



「大先生!  写真撮りましょう!」
「え、ここで!?」


まあ、我々はトンネルの中で足攣ってストレッチするような人種。記念写真くらい雑作もない。






エルコスさんにとっては、初めての鹿児島入り。



かくして、鹿児島の地を踏んだ我々は、下り基調の道をひたすらかっ飛ば……



「ブレーキ、ブレェェェェェキッ!」
「その判断は正しい!」







今度はゴリゴリ標高を下げる。



……せる訳がなく、濡れた路面と荒れた舗装と、若干の濡れ落ち葉を捌くのに四苦八苦。そして、挙げ句の果てには、



「大先生、ちょっと伺いますが」
「はい、何でしょう」
「アクションカムのバッテリー、どこかで取り外しましたか?」
「( Д)゚゚」







もうヤダこの子……orz



また、バッテリーをどこかに落としたようだ。これで何度目だよorz

これにより、降雨時の動画撮影は、手持ちのデジカメに依存せざるを得なくなった。スリッピーな路面でそりゃ勘弁願いたいのだが。






ちなみに、旧大口市は、鹿児島の中で最も寒い場所らしい。



さて、どうにかこうにか、まっ縦に吹っ飛ぶようなことはなく、9:40伊佐市の中心部、かつては大口市と呼ばれていた部分に差し掛かる。目指す鶴田ダムは、そこからちょっと南下した、曽木の滝と呼ばれる場所のさらに奥にあるらしい。

まずはその滝を詣でるのだが、途中、気になるものを発見。






もちろん、2016年現在、伊佐市周辺には鉄路は通っていない。





「羽月駅前……」
「たぶん、ここに駅があったのでしょうね」


エルコスさん曰く、「たぶんココです」という場所に、確かにそれはあった。旧宮之城線羽月駅の跡が。



「大口と川内を結んでいた路線です」
「過疎と車社会には勝てなかったのか」


それでも、せっかくなので記念写真を一枚。こちらはエルコスさんと一緒に撮った。






そして、(たぶん)鹿児島初のあんちくしょう上陸である。



その後、看板を頼りに県道404を右折。程なくして曽木の滝に到着。ここは、横幅が日本一の滝ということらしい。



「ところで、わたしは滝まで行けませんよ?」
「大丈夫だ、問題ない」







右折すると、すぐに滝がある。



せっかくなので滝を詣でておこうと思うのだが、たぶんエルコスさんは無理だろう。そもそも、滝を見渡せる展望台までは、階段をだいぶ降りなければいけない。



「マテリアルボディから電脳パーソナリティを……」
「大先生、楽園追放とかいつ見たんです?」







メタでパラドクス的な話をすると、この本は鹿屋で購入(つまり翌日の話だ)。



まあその辺はうまいことやった、ということで。

んで、滝であるが。横に長い滝というのは見た目のインパクトがハンパない。縦に長い滝がライフルだとすれば、こちらは間違いなくショットガンだ。






これはぜひ、でかいサイズで見るべきだと思う。あとは、生で。





「す、すごいですね……」
「自然の神秘だな」


そして、この豊富な水量を活用し、ここでは水路式の水力発電もやっているという。言わば鶴田ダムの上部発電ということになるのだが、






ある意味、有名な企業である。





「……色々と考えさせられますね、これ見ると」
「まあ、文明の発達と自然を守ることは、水と油みたいなもんだし」


あと、現在の水力発電所は二代目で、初代の遺構はさらに下流側にあるという、のだが……






どうしてこうなった!?









割と大惨事








「まるでコントのような壊されっぷりだな」
「蛙男商会とかがよくやりそうな画ですよこれ」







お口直しに、もう一枚曽木の滝を。



一通り見学したので、それでは鶴田ダムへ。






嘘と言っておくれ。









なんだと!?( Д)゚゚








「……どうしますか?」
「まあ、行けるだけ行ってみるか」


過去の経験上、自転車とかなら案外なんとかなることを知っている。うまくダムまで抜けれれば、最悪手押しでもいいという感じで。 そうやってダムに向けて進んでいき、遂に






割とガッチリと。









やっぱダメだったorz








「一応、左の道を登ると、国道に復帰できるようですが」
「まあ、それしかないか」


諦めが肝心である。無理して潜り込んで、また遭難しかけたら目も当てられない。






ちょっとした集落を抜ける道でした。



少々きつめの坂を登るとちょっとした集落地帯を抜ける。そこからは地図とにらめっこしながら右に左に進んでいき、国道R267に復帰したのは12:00。恐ろしいことに、このときまだ50キロも走っていなかった。



「ちょっと進みが遅いな」
「焦ってはダメですよ」


そこからR504に乗り換え、嘉例川を目指すルートに入った。

昭和時代の木造駅舎が今もなお残る嘉例川は、南九州の観光スポットとして外せない箇所であり、どうせ近くを通るのならば、立ち寄っておきたい。

しかし、R504にはひとつ、ワナがあった。それは……






緑色の看板は、自転車にとってはたいがい敵。





「何すかこの自動車専用道路ってのは!?」
「北薩空港道路ですね」


なんと、自転車が通れない区間に出くわしてしまったのだ。



「あ、でもご心配なく。道路と平行して、町道が延びています」
「結構なアップダウンぢゃねーかwww」







線形からして、たぶん旧R504だと思う。



地味に足に来る、嫌らしい登り区間を何とかシバき、ふたたびR504に復帰すれば、あとは嘉例川まで下り基調だ。

ここらへんでようやく、走行距離が80キロを数えるようになった。しかし時刻は15時前、かなり遅いペースだ。






ようやく空港の文字が。





「これに愕然とするなら、もっと乗ってくださいよ」
「言う通りなだけに、返す言葉がないねぇ」


仕事の忙しさを理由に、乗ってなかった結果がこのざまだ。そろそろ気持ちを入れ換えないと、本当に走れなくなる。コンビニで補給を済ませつつ、ちょっとした危機感を感じるのだった。

空港手前で県道56を左折、さらに2キロほど走ったところに、嘉例川の駅がある。






幸いにして、ここからは下り基調となった。





「交差点のところ、工事渋滞してましたね」
「またあそこを通るのか……」


そう考えると気が滅入るが、とりあえず嘉例川に到着である。






ちょうど列車が来たところだった。



肥薩線の観光スポットのひとつで、観光列車などはここに5分ほど停車するという。



「大先生、写真写真!」
「いいんだけど、人が掃けない……」


どうにかこうにか、撮れたのがこの一枚。






カメラはタテにして使うと結構良い画が撮れると思うのだが。



実は今回、手痛いミスを一つやらかしている。撮影用の三脚を持ってきていないのだ。そのため、被写体としてワタクシめとエルコスさんが一緒に入るというのが、困難なのだ。



「ちなみに羽月駅のときは、手頃な位置にあったシーソーを活用した」
「残念ながら、ここには手頃な台座がありません」


仕方ないと諦めて、嘉例川を出発する。

さて、今日の目標は鹿児島市街なのだが、このまま空港方面に戻っていくルートは、登り坂と工事渋滞がしんどそう。どこか他にルートはないものか、と地図を見ると、



「肥薩線沿いに走ると、隼人に出られます。あとはR10を西に走れば市街に着きます」
「線路沿いだから、とんでもないアップダウンはないだろう」







県道477は、農村地帯を抜ける道。ほぼ農道然としている。



ということで、そちらに舵を切ってみたが、これが正解だった。嘉例川からだと隼人まで完全に下り勾配で、労せずして錦江湾を拝む位置まで来たのだ。






ようやく海が見えるところまで。



ここまで来れば、鹿児島市街まであと30キロ程度。通勤時間帯に差し掛かったR10をうまいことすり抜けながら、重冨からのラスト区間へ。



「ここは、市街までの間に、ほとんど集落らしいものがない」
「そういえば、急に閑散としだしましたね」


おまけに、平成5年8月に発生した土砂災害によって、少ない集落がさらに流され、さらに人の気配がなくなった地域でもある。その土砂災害の詳細は他に詳しいが、竜ヶ水駅にはそのときを伝える石碑が建てられている。






竜ヶ水駅。





「ちなみに、この駅は各駅停車すら通過する」
「本当ですか!?」
「しかし、鹿児島と重冨の間は距離があるので、列車交換は頻繁に行われている」
「なんなんですかこの駅!?」


つまり、それだけ利用客が少ない、ということである。






桜島も、目の前に近づいてきた。



ヘッドライトが要るなぁ、という程度に暗くなった頃、鹿児島の市街地が見えてきた。せっかくなので、今日はここで一泊しようと思う。確か、駅前に仮眠できるサウナがあったはずだが……



「大先生、なんかここらへん、ビジネスホテル多くないですか?」
「ああ、天文館ね」







鹿児島は、駅前よりも天文館のあたりが賑やかだったりする。



鹿児島の繁華街、天文館。あの白くまでお馴染み、むじゃきが入っていることでも有名で、夜になるとオトナのお店が花開く場所でもある。 中央駅周辺と比べると、webに情報があまりないような宿が多いのが、天文館周辺の特徴だろか。その名もズバリ、ビジネスホテル天文館に飛び込んでみたら、予約なしであっさり部屋が取れた。一泊4k也。






ちなみに、布団で寝れれば良い、ということであれば、天文館周辺にこういった宿は多くある。



夜も遅いので白くまには手が出ず。また、かつて焼酎飲み放題で名を馳せた寿司屋も、その姿はなくなっていた――――






また今度な。






3日目


本日のルート (powered by ルートラボ)

鹿児島→桜島→垂水→鹿屋→東串良→志布志(実測88.8km)




雨は降っていないが、風が強い。

今日は、決着の地である志布志まで。ここまででだいたい230キロ走っているので、残りは94キロ。桜島フェリーで対岸に渡り、鹿屋を抜けて志布志までのルートだ。しかし、天気のほうはどこまで持つか……



「まずは船ですね」
「いや、鹿児島に来たことを証明する写真を一枚撮ろう」







中央駅へ。観覧車がランドマーク。



ということで、駅前にて一枚。

そのあと、桜島フェリーの乗り場へ。自転車も自動車同様、桜島側の料金所でお支払、ということらしい。






公営24時間営業のフェリーだけに、乗船もスムーズ。



この日は土曜日だったので、あちこちにご同業の姿があった。大隅半島といえば、鹿屋体育大学に代表される、ガチな人たちが勢揃いしている。後に仏契にされるであろうその方々と共に乗船し、まずは名物であるやぶ金うどんへ。






名だたる有名人もイチオシの立ち食い蕎麦屋……、いや、うどん屋。



食べている間に出航。ちなみに昼間は、なんと15分ヘッドで運行している。

だいたい10分もすると、桜島の麓に到着する。料金所で運賃を払い、ご同業で賑わうコンビニをスルーして、まずは垂水を目指す。






自転車だって料金所に並ぶのさ。



道はしばらくアップダウンを繰り返す。相変わらず痛いアキレス腱を抱えている身としてはきっついのだが、走れないほどではない。ただ、そうこうしているうちにご同業に仏契にされる。



「はいはい頑張って!」
「無茶言うな」


そして桜島の麓を走っているだけあって、降灰がすごい。昨日泊まった天文館の若旦那曰く、「目が細かいからパンクすることはない」とのことだが、いかんせんスリッピー。これで雨なんか降ってウェットにでもなったらと思うと、……あまり考えたくはない。






桜島あるある。至る所にシェルターがある。





「ここにテント張ったら……」
「やめなさいって」







右折して鹿屋方面へ。あとは道なりに進むだけ。



垂水でR220に入る。ここからは南下をすることになる。道なりに走れば、それこそ本当にメイドさん学科でもあるんじゃねーの?  的な某体育大学前を通過する。そこからさらに30キロほど走れば、憧れの地、志布志に着く。



「雨、持つかなぁ」
「……降ってきましたけど?」







鹿屋まであと20キロというところで、ついに捕まった。



だめだった。垂水の市街地からポンチョ着用となった。

結論から言うと、この日、遂にポンチョは脱げなかった。そして、靴はズブ濡れになった。






つまり、こういうことになった。



ただ、このようなシビアコンディションの中、およそ100キロ走るというシチュエイションは、エルコスさんに乗り換えてからは一度もなく(あってもほんのわずかな距離)、こうなっては現実を受け入れるより他あるまい、と諦めもつく。

かくして、ポンチョ着用のまま、行程を進めることとなった。

しかし、雨が降ってしまうと、若旦那オススメの錦江湾と桜島は、その魅力を大いに失ってしまう。おまけに南行なので、桜島に背を向ける形となっているのも間の悪い話。



「次は根占から北上するプランですね」
「天気が良いことを祈りたい」


鹿屋との境界付近、まさかりという地名のところで、バイパスの新道に入る。少々長い登り坂だ。






鹿屋に入る。



この辺りまで来ると、雨は俄かなんかじゃなく、マジ降りであることを悟る。靴がずぶ濡れになったのも、だいたいこのあたり。

蒸れるポンチョを脱ぎたくても、何せお召はあんちくしょう、脱いで泥だらけにはしたくない。結果、ガマンしながら登りを攻略し、旧道との交差点までやってきたところで、件の某体育大学が見える。






あそこには、ガチの人たちがいる。



大隅半島最大の街、鹿屋は、かつては軍隊の街だった。今でも航空自衛隊の基地があったりして上空が賑やかだが、最近では某体育大学の活躍によって、主に自転車界隈では有名な街になっている。






こんなイイ雰囲気のアーケードなんかもあったりする。



そんな鹿屋で、一度立ち寄ってみたかったのが、市役所のほぼ隣にある鉄道記念館。旧大隅線の歴史などが展示されている。






鹿屋市役所至近。静態保存車両の展示もある。



廃止されて久しいが、大隅線が存命ならば、志布志から鉄路で鹿児島市まで到達できた。現在のように、一度宮崎を経由する必要はない。



「モータリゼーション……」
「まあ、そういうことだ」


まあ、時代の流れなのだから、仕方ないと言っちゃあ仕方がない。ちなみに旧線跡は、一部区間で遊歩道などに転用されている。

鉄道記念館を辞して、ふたたびR220に復帰。目指す志布志までは、いよいよ30キロを切った。






ゴールは近い、のだが……





「大先生、今気が付いたのですが……」
「どうした?」
「距離が微妙に足りません」
「( ゚Д゚)」







足りないねぇ。



確かに、8キロほど足りない。このまま直進して、雨の中距離稼ぎでウロウロする破目に……



「アップデートしてくれ。少し距離を伸ばす」
「わかりました。でも、どこを走るおつもりで?」


考えてなかったので、とりあえずブックオフに立ち寄り、古本を物色しながら考える。

すると、東串良を経由する、県道519および541を発見。多少だが距離は稼げそうなので、そちらに進路を採った。






つまり三角形でいうところの、タンジェントに相当する部分だ。



やや高台に位置する鹿屋市を出て、ようやく下り基調となった道を走り、古い街並みを抜けたところで柏原。左折すれば志布志方面だが、直進すると内之浦を経て、宇宙空間観測所、そして佐多岬まで伸びる道となる。



「行かれますか?」
「情けないが、とても走れたもんじゃない。またの機会にしよう」


おとなしく左折した。






直進すれば佐多岬方面。左折で志布志へ。



残り、10キロとなった。ひたすら平坦な道を淡々と走る。すぐ右脇は海のはずだが、防風林やら何やらで、その姿を伺うことはできない。

もうすぐゴール、という状況に置かれ、靴がグショグショとかそういった些細なことはどうでもよくなり、とにかくクランクを回す。痛むアキレス腱を宥めすかすために、敢えて重たいギアでゆっくり回す。






くにの松原キャンプ場を通過。





「頑張ってください!  あと5キロです!」
「たかが5キロ、されど5キロ……」


大崎町に入り、さらに走ること暫し。菱田の交差点を右折し、緩い下り勾配の先に、



「ありました!」
「来たか!」


志布志市を示す看板が、そこにあった。






きたぁぁぁっ!



13:50、かの地、志布志にたどり着いた。







「それにしても、……ヒドいな」
「え!?  何がですか?」


見ると、リヤ側の泥はねが激しくて、サドルバッグは泥だらけになっていた。使い込んで味が出る、とかじゃなく、純粋に汚い






泥跳ねでバッグがエライことになった。





「仕方ないじゃないですか!  こんな雨なんだから!」
「はは……  許しておくれ」


頬を膨らませるエルコスさんを宥めすかし、いよいよ貫徹に向けて、ラストランを始めた。






志布志市の中心へ。



境界から志布志の市街まで、だいたい5キロほどある。とりあえずは、志布志駅へ。

かつては、日南線、志布志線、大隅線の境界駅だったが、今では盲腸線の終着駅になっていた。駅舎もそれに合わせて再建されたものである。






志布志駅。





「STBは出来そうにないな……」
「本気なんですか!?」


さすがにちゃんと布団で寝たい。ちなみに本日の宿は駅前至近のホテルポラリス。一泊朝食付きで6000円の宿をチョイスした。しかし、まだ424キロ走破していないのと、チェックインまであと1時間をどうにかこうにかしないといけない。

志布志のランドマークであるアピアで時間を潰してみる。ちなみに、ここには424Tシャツが売っているので、お土産に買っていくのも一興。






藤やんも着た、あの424Tシャツが!



そのあと、少し遠回りして、支所へと向かう市道へ。この途中に、志布志のソウルフード・マルチョンラーメンがある。






マルチョン外観。



透き通った豚骨スープがライスと相性がよく、これが大変おいしい。さすが、14時でも行列ができるラーメンだ。志布志に訪れた際は、ぜひとも食べたい逸品に違いない。






鹿児島で天下を取ったラーメン。



腹を満たし、いよいよ支所へ。その途中……



「大先生!  3,2,1……」
「しぶしぃぃぃぃぃぃぃっ!」







424!!



志布志支所の直前で、424キロをカウントした。何て出来すぎた展開だろうが、しかしこれは事実だ。

424チャレンジ、無事終了。そして、憧れのあの場所へ――――



「かつて、この場所で……」
「ものすごい回数の腹筋をした男が、いたらしい……」







そして挑戦者は、支所の前に集う……


















それからの話

424チャレンジを無事終えた我々は、ホテルに投宿してのんびりしつつ、雨でグチョグチョになったあらゆるものを洗濯しまくった。それがあらかた乾いたところで晩飯をいただき、明日からのプランを練ることにした。



「明日の夜には、博多に居たい」
「乗り換えを考えないと、15時台のにちりんシーガイアが良いでしょうね」


個人的な理由で、高架駅である西都城駅の全景を拝んでおきたい。しかし、明日の天気も下り坂で、自走は厳しそう、というか







できれば走りたくない。






バス輪行を検討しないとなると、志布志をだいぶ早めに出発しないといけなくなる。ただし、都城まで行って、帰ってこれるだけの時間は何とかなりそうだ。そうすると……



「吉都線に乗り継げますね。あ、肥薩線に繋がります!」
「それもアリだな!」


ある程度、プランは纏まった。翌日、早々に朝食をシバき、7:30発の列車の乗客となった。






余談だが、腹筋シーン撮りたくて早朝街中を駆け巡ったが、暗すぎて不発だった。



志布志と都城、それぞれの駅前でタクシーの運ちゃんに声をかけられた。宮崎から大隅にかけては、やはり鹿屋の影響もあってか、自転車への理解が充実している。うっかり話は盛り上がったが、汽車の時間ぎりぎりまで話し込んでしまった。

都城に到着したところで、エルコスさんを一旦復元し、3キロほど走って、西都城へ。






雰囲気としては、湖西線の駅に似てる気がする。



この駅は、web上の画像だけを見るに、やたら広い野原にポツンと駅がある、みたいな構図となっていたので、物凄く興味があったのだ。

だが、実際に訪れてみたら、よくある駅前ロータリーだった。






そして都城も、どこにでもある普通の街だった。



本来であれば、ここで輪行するか、自走で吉都線谷頭駅まで走ってしまおうかとも考えたのだが、時間的にギリギリだったので、おとなしく都城へ戻り、12:07の吉都線に乗車。






えびの駅舎。ここも雰囲気があって、余裕があれば自転車で訪れたかった。



吉松で1時間以上待ち合わせ。駅前に商店がなくて食べ物に難儀したが、もう一度エルコスさんを袋から出す気にもならず、空腹に耐えながら15:16しんぺい4号へ。






しんぺい4号。ちなみに人吉から来る列車は、「いさぶろう」という名に。



あとは、成すがままで新八代で乗り換えて、博多に着いたのが19:13。復元してリュックを回収したところで、雨脚が。



「逃げ切りましたね」
「最後くらいはねぇ」


ずぶ濡れになる前に、宿へと戻れたのであった。






余談だが、しんぺい/いさぶろうは、勧められる通り指定券を買ったほうが断然良い。



そして翌日、天気が回復したのをいいことに、香椎宮までサイクリング(文字通り)を楽しみ、そのあと、貝塚のヤマト営業所でエルコスさんをパージ。






香椎宮。





「では、また東京で会おう」
「大先生も、ご武運を」







案の定、発送に時間がかかった(Cヤマト便のことを知らなかったので)。



出陣する武士を見送る体のエルコスさんは、サイクリングヤマト便で東京に送り返される。そしてワタクシめは、九州の地で、最後の戦いに挑むのであった――――




キングは懐が深かった件。

16:30、博多駅。






博多バスターミナル。



おみやげを買いつつ、うっかり焼酎の角打ちなんて楽しみながら、その時が来るのを待つ。






角打ちは初体験でした。



これから、キングと呼ばれた者を、討つために――――






キングが降臨する――――



いや、単にはかた号に乗ってみたかっただけなのだが。

かつて、キング・オブ・深夜バスと異名を名乗り、それに挑んだ戦士の







ケツの肉をもぎ取る






ことで名を馳せた、深夜バス界の不動の王に、これから挑む……






翌朝撮影したが、シートピッチが広くて座り心地の良いシートでした。









普通にいい席です。






どこがケツの肉が取れるのだ?  普通に良いシートである。これなら、深夜バスというのも決して悪くないな、なんて思っているうちに、関門橋を渡って本州上陸。






佐波川サービスエリアで、ついにカーテンが張られた。



翌朝、バスタ新宿着。

「なんだよ、キング懐深いじゃん」、なんて余韻に浸りながら、半日休暇で職場に向かうのであった――――






ちなみにこの日、午後から重たい会議があった。


















余談~ミラーレス枚数制限プレイ~

さて、ウチにあるミラーレスのQ7であるが、今回の旅に持ち出してみた。ただし、ある条件を付けて。






驚きの低スペック。



10年位前であれば当たり前のように存在した、1ギガ未満の容量のSDカードである。これをデジカメにセットすると、






見たことのない残り撮影枚数。



まあ、当然ながら撮影枚数が(´・ω・`)ショボーンなことになる。これを改善するために大容量化していったのには理解できるし、実際のところ、コンデジには32GBのSDカードが入っている。

しかし、フィルム(銀塩)時代を思い出したりすると、あえて撮影枚数を絞って、一枚一枚を丁寧に撮影するような撮り方というのも、とても大切なんじゃないかと思ったのだ。

なので、要所要所での撮影にはミラーレスを使い、それ以外の取材のところはコンデジ、という風に使い分けてみた。その結果が以下のものだが、カメラは写ってればよい的な人なので、過度な期待はしないように。


キレイになった博多駅にて 太宰府天満宮。
長洲港にて。 島原方面を望む。
天草の玄関口、宇土駅。 道の駅・坂本。
球磨川全景 ローカルな気動車が到着。
人吉の夜景 遂に鹿児島県に入った。
羽月駅跡。かつての駅舎にて。 嘉例川駅
名もなき田園。 鹿児島市へ。
列車交換中 繁華街。
駅前のランドマーク 皆が愛した味。
桜島 たどり着いた。
さらば志布志。 帰郷日の午前中に、香椎宮に行ってみた。

……んで、やってみてわかったことなのだが、確かに無駄撃ちすることがなくなって、一回一回丁寧に(限度はあるが)シャッターを切るようにはなった。なので、写された画像というのは、要所要所で思い出に残る場面であるということが明確にはなった。

……のだが、致命的な問題点があって、撮影可能枚数のうち、一日に何枚撮影してよいかの数をあらかじめ決めておかないと、初日と最終日の撮影枚数に、とんでもない差ができてしまうことが分かった。






その結果が、運転席とかの画像に。



特に、初日にバシバシ撮りまくってしまうと、後半になるにつれて撮影したくてもできないという残念な結果に陥ってしまう。このあたり、考えるのは面白いのだが……



「まあ、大容量のメモリーカードが出てきた理由がよくわかります」
「今時、MBオーダーのメモリーカードなんて売ってないしね」


まあ、ちょっと変わったことをやってみたいという方は、こういう遊び方もよいのではないだろうか。






なお、最後の画像はコレだった。












TITLE:腹筋で名を馳せた、かの地へ。
UPDATE:2016/11/25
URL:http://y-maru.sakura.ne.jp/232_424/424.html